2015年5月17日日曜日

中里重利追悼







あれは多分、12日のお昼ですね、

リアルタイムで母より、もうだめかもしれないと何度も電話が鳴っていました。


実はゴールデンウィークのやきもん祭り開催中に僕は唐津と福岡の病院を行ったり来たりしていました。

正直これはもう復帰は難しいけれど、指示だけは飛ばせるように回復してもらいたいと願いながらも、大好きなタバコを吸いに病院を抜け出し、川沿いのベンチで二人でたばこを吸っていました。


病室では、唐津焼の写真をみて二人で、こういったの作りたいなぁとか、これはどこで焼いてたんだろうね、とか昔の太郎右衛門窯の話とか、いろいろとしてるうちに、
ああやっぱりこれが最後になるかも知れないなという感覚がありました。

ですので、死去の報告があってもそれほど動揺はなかったのですが、メディアなど誰にも知らせていなかったので突然な感じが強かったと思います。



葬儀の後になって、身内だけの席ではみなさんがいろんなエピソードを語ってくれました。

十二代との古唐津復興がなければ現在の唐津のここまで古唐津にスポットが当たっている状況にはならなかったと思います。


僕個人でもいろんな思い出がありますが、一つあげるなら岐阜の加藤卓男先生の工房へ祖父と父と三人で遊びにいった時、ああ、個展です、そうそう。



卓男先生と祖父、父、いろんな作品をあれは工房の二階の部屋だったったか、見せてもらい。

子供に選ばせるのが好きなんですね。二人は。
どれが一番いいと思う?と。

この魚の陶板を選んだら、この二人は喜ぶんだろうなと思って、これだね、と選んだら二人とも大喜びして。


そこから、いろんなものを一緒にみて、美術館に行っても下手なのを選ぶと祖父は機嫌が悪くなってくるので、良い物だけを選ぶようになっていきました。

子供の時から、こういったことの積み重ねが眼の訓練だったなと今にして思えば感じます。


惜しげもなく古いものも見せてもらい、祖父は感覚的なことをいい、三玄窯の西本さんという長年の轆轤師の方が細かな技法の解説をしてくれて、そういった教育が今の僕のベースになっていることは本当に感謝しかありません。


人物はいなくなっても、重利の作品は残ります。

それだけで僕にとっては十分で、また一緒にお酒を呑むこともできるような気がしています。


いろいろな方からご連絡頂き、とても心にしみました。



「世界で一番、好きな陶芸家です。重利先生」と、頂いたときは泣けました。


ひとまず、ゆっくり休んで下さいと言いたいです。


忙しかったもんね、最近(笑)。





dai

























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