2013年9月7日土曜日

No title



実は、最近欲しい茶碗を買えず。

はや半月ほど悔やんでいます。

李朝象嵌の茶碗でした。


こういう時は頭からあんまり離れません。

僕がこの業界では若いというのもあり、なにをいってるんだー売らないよ!という感じで。かるーく。


しかし、こんどまた出会ったら間髪入れず買おうと思います。







最近高校生の時に読んだ本を久々に読み返し、当時感銘を受けた文章を抜粋してご紹介いたします。

僕のこころに残っている名文紹介です。

あえて何の本かは書きませんが、とある美術商の本です。




『当時一種の流行でもあったかと思いますが、美術学校や大学を出た方々、音楽家、文士等のインテリの愛好家が殖えた所へ、学校で美術や文学をやった方や画家だった方々などわれわれ業界にも入ってきましたので、自然こういう方々とも交渉を持つようになりましたが、私共のお客の中にも、こういう方々のそういう物の見方とでもいいますか、文学的の術語や科学的術語を振り回すハイカラな陶器通の方も出来て来るような空気になってきました。芸術的な美が稀薄だとか、この品物には詩がない、夢がない、味がない、感じが固いとか冷たいとか、形にボリュームが足りない、ポーズがなっていない、線に動きが欲しい、形や模様にゆとりが欲しい、静けさや侘び寂びに乏しい、この釉薬は鉄だ、銅だ、マンガンだ、これは還元炎だ酸化炎だとかいうようになって参りました。品物を見るの
に、幾分知識や理論で見るようになってきました。若い愛好家や店員も、それに幾分共鳴するようになり、引きずられもしました。私も今から思えばまだ若かったので、そういう見方なり鑑賞があるものかと、懐疑にとらわれて、真剣に考えるようになりました。

文学にも、科学にも、何ら教養を持たない私には、永の年月の間に品物を数取り扱った実地の経験のみが唯一の頼りです。理屈はどうでも、物を見てそれが自分の心に美しく感ずる物であればよいと思いますが、このグループの方々には、そんなことは月並の説明としか思って頂けません。世間は一般に、愛好家でも業者でも、物の真贋を出し、美の有無の理論をつける方を目利きであり、審美眼のある偉い人だと思う嫌いがありますが、私はなかなかそう簡単に結論のでるものではないと思います。』




昔、業界の先輩に

「おまえな、あんまり考えすぎたらいかん。美は感じるもんや」

と言われ、

その時は僕も反抗期だったんでしょうね、それってただの感覚でしょ、説明できてなんぼじゃないの?ここがこうで、こうでこうだから、だからこの茶碗は良いって言えるんじゃないの?理論的に説明できなきゃだめだよ、と考えていたのですが、




どうもなにか違うような気がしてきて。



また上のような本を読みかえすと、自分の浅さを再確認してしまって、また勉強しないとなと思ってしまう日々です。






dai

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